35歳でスキルス胃がんになった。その後。

結婚後、不妊に悩み、病院での治療を決心した矢先、35歳でスキルス胃がんになりました。TS-1の副作用により涙道が閉鎖し、常に涙が目からあふれ出ている状態です。

限界を迎えた『あえて頑張る』私の美学

自分に嘘をついて生きてきたのではないかと疑い始めたのはがんになってからだった。
心のストレスが体にまで影響してしまったのではないか、という疑念が始まりだ。

昨日、久しぶりに杉浦さんの著書(命はそんなにやわじゃない)読み返して、私も少し自分の人生を振り返ってみたいと思った。

偽りのポジティブさ

私は自分のことをとってもポジティブな人間だと思っていた。

子供のころはそれほどでもなかったが、大人になるにつれ、どんどんポジティブに物事を考えるようになった。
今考えると、本当の意味のポジティブではなくて、ただ何かに失敗したり、挫折した経験がないまま大人になってしまった単なる怖いもの知らずだったのではないかと思う。

確かに私の人生を振り返ると、大きな失敗や挫折をした経験はそれほど記憶にない。(たぶん、がんになったことが一番大きな出来事だ)
いわゆる本番に強いタイプだったので、学校の試験や部活の大会では、周囲が驚くほどの良い結果を出した。今でも家には賞状やトロフィーがたくさん飾ってある。普通はみな緊張する場面で、私だけは平常心でいられることが自分の強みだと思っていた。

大学入試センター試験の直前、唇が青くなるほど緊張した友人に向けてこんなことを言ったことがある。

「緊張して何か良いことある?自分にメリットのないことをあえてする必要はないんだよ。」

周りの人は緊張して普段の8割の力しか出せないときに、私は200%くらいの力を出せる自信があった。実際、受験も就職も失敗したことはない。お付き合いしたいなと思った男の子とも必ず付き合うことができた。私は多くのものを欲しがらないが、ピンポイントで絶対に欲しいものは手に入れられるんだなと自分の能力を過信していた。


大変なとき、あえて頑張る

私の母は『気丈な人』と良く言われる。大変な場面でも気持ちをしっかり持って対応できる人だから、どんな人にも尊敬されている。
不肖の娘で母の足元にも及ばない私だが、やはり少し似たところもあって、子供の頃から『大変なとき、あえて頑張る』癖があった。

一番分かりやすいのが、母が胃がんで闘病していた時期だ。

www.will-survive.life

そのとき私は高校2年生だった。母は退院してからも床に臥せている時間が多く、父は一日中仕事で不在にしていたので、家のことはすべて祖母と二人で分担してやった。

学校から帰ると、自転車でスーパーに食料品を買いだしに行った。お弁当作り、夕食作りの手伝い、姉の子供たちの世話、犬の世話、父のYシャツのアイロンがけ…普段母がやってくれたことを見よう見まねで無我夢中でやっていた。

それに加えて、そこそこ厳しい進学校に通っていたので、与えられる課題も多く、テストの類も多かった。当然、毎日相当の勉強時間を確保する必要がある。
「母が病気のせいで勉強する時間がなかった」と言い訳するのは簡単だが、私は絶対にそれはしたくなかった。『大変なときこそ、あえて頑張るべき。そういうときにその人の真価が分かる』そう信じていた。

家事に時間を割いた分、寝る時間を削って勉強した。
結果、普段は学年で20位前後だったのが、このときばかりは順位が一桁台に上がった。

父も母もこれには最初は驚いて、そして喜んでくれた。『この子は逆境に強い子だな』と言われた。最大の褒め言葉だった。
自分がどれだけ価値のある人間なのかを気づいてほしいという目的は見事に成就した。

こんな経験を重ねていったことで、学校でも職場でも、しんどくてみんなが疲れ果てているときに、あえてポジティブな言動をした。
『〇〇ちゃん(私)はいつも前向きだもんね』と『前向き』は私の代名詞のように使われるようになった。

限界を迎えた美学

妊活していたときもそうだった。

夫はもともと子供はいてもいなくても良いという人だった(そもそも興味がない)のは知っていたので、あまり面倒なことには巻き込みたくないと思っていた。もっと早く病院に行けばいけばよかったと後になって悔やんだが、仕事で忙しい夫を病院に連れていき、検査するからあれを今すぐここで出してなんて言いたくなかった。『私らしくない』ふるまいだからだ。

基礎体温をつけ、排卵検査薬を使って、葉酸サプリを毎日飲んで、全部一人で背負いこんだ。私はここでも『大変だけど、あえて自分一人で頑張る』ことの美学を貫いた。

しかし、もう限界だった。見ての通りの現状である。

失敗・挫折した経験がないから、いとも簡単に自己肯定感は崩れた。地の底から這いあがった経験がないのだ。
要領よく立ち回ることで、実力以上に評価されてきた人間が語るポジティブさなど、なんと薄っぺらいことか…世間知らずとか、身の程知らずとか、そういう言葉で代用すべきことだと自虐した。

それと『あえて頑張る』ことは、心に相当な負担をかけてしまっていることに気づくべきだった。他人からの評価が自己肯定感の主軸になってしまうと、どうしてもそこが鈍感になってしまう。『頑張らない』という選択をすることが罪悪感として、さらに自分を傷つけることになるのだ。

ただ、<紙一重なのではないか>とも思う。

何かを成し遂げたいとき、誰かの信頼を勝ち取りたいとき、逆境に立たされていても、すべてを背負いゴリゴリと前に押し進むパワーは人生には絶対に必要なのだ。

要はそこで掛かった心の負荷をどこかで解放させてあげながら生きることが大事なのだ。心のストレスを貯めこんでしまうと、いずれ必ず体に異変が起こってしまう。
私のように。


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